はじめに


世の中には「えらい人」と呼ばれる人がいます。社長、先生、先輩、政治家、芸能人……「肩書き」や「年齢」「経験年数」などで、自然と「えらい」とされることがあります。

でも、私は正直「えらい人」なんていないと思っています。

もちろん、すごい人立派な人はたくさんいます。

尊敬できる人もいます。

それと「えらい」は、まったく別物だと感じています。

会社では社長にペコペコ頭を下げたり、学校では先生や先輩に気を使ったりしますよね。

でも、それはその人が“えらい”からではなく、役割や立場を尊重しているだけなんです。

敬意を持って接するのは当然のこと。

自分より上の人間だと思っているわけではありません。

年配の方に丁寧に接するのも同じ理由です。

人生の先輩としてリスペクトはしますが、「年上だからえらい」という感覚はありません。




「えらい人」と言われた時の自分の違和感


私自身、過去に「えらいですね」と言われたことがあります。
でも、その言葉をかけられた瞬間、なぜかモヤっとしたのを覚えています。
何かを評価してもらったことはうれしい。

でも、「えらい」という言葉には、上下関係のような、どこか不自然なニュアンスがある。
私が努力したのは、自分なりに一生懸命やった結果であって、誰かより上に立ちたいわけではないのに……。
この経験から、「えらい」という言葉には、無意識のヒエラルキーが含まれている気がしてなりません。



「えらい人」が必要とされる理由


では、なぜ「えらい人」が存在するように見えるのか?私はそれは、組織を成り立たせるためだと思っています。

会社や団体にはリーダーが必要です。

誰かが決めて、方向を示して、全体をまとめなければならない。そういう意味で「上の立場の人」がいることには納得できます。

でもそれは「えらい」からではなく、役割として必要だからです。



本当にすごい人とは?


私はこう思います。

「えらい人」という環境に置かれてしまっているけれど、威張らずに自然体で、周りから信頼され、結果的にリーダーシップを取れる人。
そういう人こそ本当にすごいと思います。

その人自身は「自分はえらい」なんてこれっぽっちも思っていない。

だからこそ、周りが自然に尊敬するし、人がついていく。
私はそんな人に出会うたび、「えらい」とは言わず、「すばらしい人」「尊敬できる人」と表現したいと思うのです。



最後に


世の中には、「えらい人になりたい」から威張っているだけの人もいます。

そういう人に限って、本当の意味では誰からも尊敬されていない気がします。

「えらい」という言葉に縛られず、人の中身を見ていきたい。

そうすれば、自分自身も変な気を使わず、誠実に人と関われると思うのです


先生って“えらい人”なの?

人物
人物

“えらい”より“すごい”のよ。子ども30人見て、親にも気をつかって、部活もして…もう、仙人レベルよ。

Access


■ 住 所

〒359-1101

埼玉県所沢市北中2-294-39

Google MAPで確認する
■ 電話番号

090-5205-5466

090-5205-5466

■ 営業時間

8:30~17:00

■ 定 休 日

不定休

※ご来店の際は、お手数ですがチャイムをお鳴らしください。

    空いている駐車スペースをご利用ください。


    file-R7CPTwzvdHV9j3DSGWU4rX (2) (1)

    小手指駅北口から車で5分🚗

    駐車場完備

    ~はなのつぶやきノート~